ボコボコッボコボコボコ、ぼんやりと投げかけられた青緑色の光の下、エアポンプのあぶくが浮かび上がっては、水面を四方に滑ってガラスの壁にはじけて次々に消えていく。あたかも数万年の太古の昔から陸上動物の進化等そっちのけに千年一日、今日夢から醒めましたとでも言いたげなドロリとした眼つきでガラスの外に広がる景色やおもしろそうに覗き込む顔をまんじりと見ている魚たち。
 神々が生き物をお創りになった時、トロトロの生命用液を動物たちの鋳型に流し込む前にうっかり海にこぼしてしまい、そのまんま生きてしまったみたいなさまざまな身勝手な形体と大きさをもつ軟体動物や腔腸動物たち…。
 これからの季節、うだる暑さのなか、ほてった皮膚を冷ますために僕たちは、水族館に足を運ぶ。そこには、ガラス張りの南海や深海がまるで、バチスカーフの丸窓さながらの大パノラマを繰り広げている。
 僕たちが生活を送るこの地球上の陸地には、動物やら植物やらの全く得体の知れない連中がウヨウヨ這ったり飛んだり生えたりしていて、それはそれで大変に興味深い可愛らしさなのだが、その陸地をとりまく地球の7割をしめる海洋に棲む生物こそまことにおもしろい。
 そこは僕たち人間の想像力をはるかにしのぎ、どのような優れた大芸術家が集まっても、とても創り出せそうにもない意外な形体をもつ、物凄い怪物たちの宝庫である。また海洋は地球の子宮さながら数多くの生命の進化の根源を、かつてそこに発生させた。
 その生命たちは羊水である海水と楽天的浮力に守られて時間の経過や地上の変化どこ吹く風と、たっぷりとした養分をむさぼりながら、原始的スタイルそのまんまにヌクヌクと育ち続ける。
 宇宙より飛来したようなイトマキエイ、放電しながら海面に怪しく漂うクラゲ、獰猛に貝類を噛み砕くヒトデ、海底にゴロゴロ横たわるナマコ、重戦車みたいなヤドカリ、それを支配し続けるイソギンチャクのリズミカルに動く触手、墨を吐き出しながらその吸盤でへばり着くタコ、その胎内に1つの小宇宙をもっているかに想えるホヤ、その他タツノオトシゴ、マンボウ、シュモクザメ、ゴカイ、フグ、カニ、ウミウシ、サンゴ、カイメン、ミル、ウニ、アメフラシ……数え上げたら枚挙にいとまがない。そんな彼らの思考や記憶や感覚に想いをはせれば、ロマンチックで無垢で全身で悲しんだりして、水の底でこそ強引だったりするけれど、どこか気弱で孤独で甘えん坊でうっとりと生きている人たちである。大きくうねる潮の流れの中から天上の音楽を聴き、水中を通してふり注ぐ、星の光の下を舞うように漂う麗しい人たちなのだ。
 哀れにも彼らはこうして狭いガラスの海の中に閉じ込められ、その興味深い姿を僕たちの前にさらけ出しオロオロとうろたえている。かつて大海原に輝いたその美しき肢体は見あたらない。人工の光の下、マゾヒスティックな欲望にその剥げかかったウロコを輝かせる。ガラスの向こう側に吸い着いて遠い深海に向かって声にならない声で何か叫んでいる。静かな水族館の空間は、冷たい情念が渦巻いて、いましもグニャリとねじ切れそうである。(了)