およそ30年前 フランスからの初オファーで描いた記念作品が マルセイユのアート ファクトリー "Le Dernier cri" 創立25周年で 小ぶりなポスターへとプリントされましたので、こちら分を販売します!
80年代の初め頃から私の作品は フランスでも いつの間にか紹介され、一部のヒネたラフィネ達の間で 少しは 話題になっていましたが ちゃあんとオファーを受けて描いたのは 1988年頃のこの絵が 第1作です! テーマは「マッド サイエンチスト」という事でこんな絵にしたのでした。
その当時の世間の有り様は というと バブルに突入していて 世の中は ぐいぐい派手やかにハメをはづし出した頃。80年代初頭に登場してきたヘンテコでチープで可愛げのあった音楽やアートが 段々とソフィスティケイトというか産業化してカルチャー・ブーム(?)も手伝ってか ヘンにマセちゃった感じでした。アートがマセちゃあいけませんね。どっかで見たようなイカ物、ステレヲタイプな過激ぶり、まやかしの小難しい口実、、
そんな中私は といえば 作品スタイルや内容や性格のせいか あっちからもこっちからも 風あたりが なかなか強くて大いに楽しませてもらいました! どこ吹く風で大忙しでした。
物事を率直に見ることのできない 先入観にボヤけた眼!
頭蓋骨の中 全部 緩衝材じゃないかと思うような打っても響かない人々!! なぁ〜んて呆れてたところに このフランスからのオファーがあり クナクナと指や腕を長く長くどこまでも伸ばして 自分の思いや世界感をより多くの海の彼方の人達に届く事を願い、植物がその種子を綿毛にして飛ばす気分で描いたのがこの絵! その後の私とフランスのアーチスト達や世界中の応援者達との 長い交流の第一歩となったのでした。
とうとう私自身は フランスにもどの国にも行く事はありませんでしたが、作品達の多くは 今も色々な場所で様々な人達にめでられ 何らかの影響を放ちながら活躍してくれています。
その当時はインターネットもFAXも無い時代。語学もポコペンな私なので人に翻訳頼み全ては郵便。そのやりとりの大変さったらなかったですが 今となっては玉手箱の中です。
当時の 若き日の自分に会えたなら 微笑みながら ねぎらいたいです。が!作品に対しては「もっと、もっと、もっとだ太田! あそこをこうして、ここをこうして、もっと吹っ切って 前面に力を!」
なーんて言い放っちゃいそうです。ふふん と 薄ら笑いされそうですけどね、、、
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